第12話 北条高時腹切りヤグラと護良親王の牢獄
古都鎌倉には、無数の歴史的遺産が現存しているが、その中でも最も恐ろしいスポットが、護良親王が殺害された牢獄と首塚、それに鎌倉幕府最後の執権・北条高時が自害したヤグラ(注参照)だろう。ひんやりとした初冬の浜風を受けながら、巡礼を進めた。
鎌倉駅から20分ほど歩くと、鎌倉宮と称するお宮につく。鳥居をくぐり抜け、奥へ進むとにわかに現れたの
が、頑丈な格子で入り口をさえぎった洞穴だ。この洞穴が後醍醐天皇の6番目の皇子・護良親王が幽
閉された牢獄である。ときは1330年代の室町時代前夜、足利尊氏と対立した護良親王は、結局急速に力を伸ばした尊氏に捕らえられこの牢獄に一人閉じ込められることになった。親王は、しばらくの間念仏を唱えながら暗い闇の中で生き延びていたが、運命の時はすぐそこまでやってきていた。
北条時行の鎌倉攻めに合い、危機感を抱いた尊氏の弟直義が、牢獄の親王殺害を決断したのだ。直義の命を受けた淵辺義博は、牢獄に座る親王の後ろから羽交い絞めにし、首を掻き切ろうとしたが、気性の激しい親王はその刃の切っ先をガツッとばかりにくわえた。しかしもみ合いのうちに親王の首はザクッと切り落とされた。落ちた首は、刃をくわえたまま、宙に浮き上がり無念の表情で刺客をにらみ返したという。、あまりの恐ろしさに慌てた淵辺義博は、親王の首を籔の中に落とし、それが牢獄の近くにある「護良親王首塚」となった。
鎌倉宮から南へ10分ほど行くと、150年間の栄華を誇った鎌倉幕府最後の執権・北条高時の菩提寺の東勝寺跡に至
る。群馬県の生品神社で挙兵した新田義貞は、鎌倉街道を南下し、とうとう鎌倉幕府を滅ぼす時がきたのである。焼け落ちる東勝寺を見て観念した高時は、ヤグラに立てこもり、新田勢を待ち受けた。そして新田勢を前にした高時は、自ら腹を切り、内臓を取り出して敵兵に投げつけたのである。これを見た新田勢は、恐ろしさのあまり腰を抜かしたという。流行の街・鎌倉には、実はこんな気味の悪い土地がいたるところにあるということを知っておくべきだ。また近年、由比ガ浜近くの現在の簡易裁判所あたりから新田義貞対幕府戦で戦死した鎌倉武士の遺骨が
多数発見されたという。
※注)ヤグラとは、鎌倉時代に山腹に横穴を掘って作った墓穴のこと。