第14話 哀れ、不運な梅若伝説

 東京下町、墨田区界隈は「江戸趣味のメッカ」である。いたるところ江戸の面影を今に残し、興味の尽きないスポットだ。そのなかでも哀れ、不運な物語を伝えているのが、墨田川沿いの墨田区堤通2丁目にひっそりとたたずむ木母寺に伝わる梅若伝説であろう。謡曲「隅田川」として現代に謡いつがれるとともに、浄瑠璃や長唄にもなっている。江戸名所図会の木母寺の項にも、謡曲「隅田川」とほぼ同じストーリーが縁起として記されている。公園内にある梅若橋

 ガラスの囲いに守られた木母寺梅若伝説とは、こういうものだ。平安時代のこと、陽気も暖かくなった春三月のある日、由緒ありげな都の女(公卿吉田惟房の女房)が、ここ墨田川を渡ろうとしていた。川の中流まで来ると、対岸の柳の下に人だかりができていて、声高らかに念仏を唱えていた。聴くと都から来た人買いが、だまして買った12歳ほどの稚児を奥州で売り飛ばそうとここまで連れて来たが、その稚児は哀れにも旅の病にかかって一歩も歩けなくなり、無常にもここで捨て去られた。死後墨田川の畔の柳の下にうめて供養しているのだという。

 偶然にも息絶えたこの稚児は、実は都からはるばる尋ね、探し歩いてきたその女の子供、梅若丸だった。女は、梅若丸の墓に案内され、母の嘆きは頂点に達した。再会の望みはついに途絶え、わが子梅若は、この下かと春暖かき陽気のなか、泣き伏すのであった。この痛ましい情景に大念仏の参梅若塚へは東武線鐘ヶ淵駅から加者は、慰める言葉もなく、ただ念仏を唱えるだけだった。すると、不思議にも梅若丸の亡霊が現われて、母と子が手を取り合ってすすり泣いたという。

 東武鉄道の鐘が淵駅から歩いて15分ほどの墨田川岸にある梅若児童公園が梅若塚と供養した木母寺の跡だ。木母寺は、古くは梅若寺とも呼ばれていた。現在は、公園の中ほどに移されて今でも、梅若丸を忍ぶことができる。