第24話 鎌倉の海に沈んだ源義経の忘れ形見
静御前の墓が埼玉県の栗橋町にあると聞いて取材に訪れた。おりしも35度を超す猛暑の中、あ
われな女性のたどった人生を脳裏に浮かべながら、列車に揺られること約2時間あまり。JR栗橋駅のそばにひっそりと立っている墓を確認することが出来た。静御前は、言うまでもなく源義経の愛妾である。義経が頼朝に追われ、京都を脱出したのに従って彼女の放浪の旅が始まった。大和の多武峰に向かう義経と吉野山で別れたのを最後に、二人は二度と
会うことはなかった。
静御前はその吉野山で間もなくして捕らえられ、頼朝のいる鎌倉に送られる。頼朝は彼女を執拗に責めて、義経の居場所を聞き出そうとするが、静の知るところではない。そして鶴岡八幡宮の舞殿で、頼朝の所望に従って舞ったのである。舞を終えると彼女は「吉野山みねの白雪ふみわけて いりにし人のあとぞこいしき」と心境を詩にして、義経を偲んだという。それを聞いた周囲の者は、みなほろほろと涙を流したと吾妻鏡は伝えている。
そのとき義経の子を宿していたが、生まれるとすぐに静の手より奪われ、由比ガ浜に棄てられた。彼女は、義経の忘れ形見を奪われ、狂人のように泣き叫び、やがて放心状態となったという。その後自由になった静御前は、義経を忘れることが出来ず、奥州平泉に向けて歩み始める。しかし現在の茨城県総和町まで来たところで、義経が討ち死にしたことを伝えられ、精根尽き果てて栗橋町まで引き返した。生きる望みを失った静は、この地で剃髪し尼となったが、その数ヵ月後に世
を去った。
義経を死なせたくない後世の作家らは、討ち死にしたのは身代わりで、その後も生き長らえ青森の竜飛崎の近くから北海道へ渡ったという伝説を創作した。北海道の帯広周辺にも義経神社があり、何とそこに静御前の墓標が立っている。亡くなったといわれた二人は、東北で密かに合流し、北海道に渡ったのだろうか。そして静に余生を送ったのかもしれない。中世を風靡した英雄と白拍子静御前は、未だにわれわれの心の中に生き続けている。