第27話 28年間の夢をつづった「南総里見八犬伝」

 

 南房総と関東一円を舞台とする幻想的長大文学、『南総里見八犬伝』は、なんと28年間にも及んだ夢の中で執筆されていたというから、とてつもない怪奇というしかない。人生たかだか40年か50年の馬琴住居跡江戸時代後期にその大半の約30年も費やして、100巻に達する文学作品を書き上げたのは、言うまでもなく滝沢馬琴だ。南房総の山々と東京神田にある馬琴宅跡に巡礼して、人の執念とも思える魂に接してきた。

 馬琴が『八犬伝』を書き始めたのは、文化11年の甲戌(きのえいぬ)の年だった。それまでに収集した里美氏などに関する史実資料を脇に置き、完璧なるストーリー構想にそって、長い長い執筆の旅の第1歩が記されたのである。その直後のこと、馬琴宅に風変わりな托鉢僧が訪れた。『八犬伝』を執筆する戯作者がいると聞いたので、里美氏の謎を教えて欲しいという申し出である。馬琴は、仕方なく応対に出て、収集した資料をみせたところ、托鉢僧は、謎が解けましたといって感謝して帰っていった。

 それから28年後、『八犬伝』が完成した。大変な苦労と途方もない執念の賜物といえる。その南房の山と海間、完成を楽しみに待っていた多くの友人らは、すでにこの世を去っている。すると、そこへ執筆当初にやってきた托鉢僧がまたも現れたのである。お互いに年老いた相貌をなぐさめあい、長かった歳月を思い起こしながらの対面であった。托鉢僧は、今度は『八犬伝』の結末を早く教えてほしいということだった。馬琴はコックリうなずいて、最終巻を差し出した。

  こうして夜通し2人の会話が弾んだが、どこからともなく鐘の音が響くと、托鉢僧はふと我に返り、驚いたように立ち上がった。僧は、『そろそろおいとまを』といいつつ、その瞬間ふらふらとよろけて、そばにあったあんどんを押し倒す。『あぶない』と馬琴が叫ぶと、その自分の声に驚き、愕然として目が覚めると、托鉢僧との会話も何もかも全てが夢であったことに気づく。犬と人間の獣婚を中心とした奇奇怪怪な『八犬伝』は、こうして夢の中で書き上げられた幻想文学だったのである。これは、馬琴自身が語っている。