第45話 320人の最期の瞬間
約320人の最期の瞬間のみを延々と書き連ねた、とんでもない文献がある。山田風太郎の「人間臨終図鑑T〜U」である。これを読む方はまだいいが、文献にするために無数の死の瞬間を綿密に調べ続ける神経には頭が下がるばかりだ。怪奇巡礼行では、そのとてつもない労苦に敬意を表して、「第45話」を設けることにした。いくつかの死の状況を紹介して、同書の迫力を伝えていきたい。
≪小林多喜二≫1933年死去・享年30歳=東京築地警察署の水谷特高主任らにすさまじい拷問を
受け失神。留置場で寒さのために意識を戻し、便所に行こうとしたが歩行不能でかつがれていった。出た大便も小便も真っ赤であった。拷問による腸や泌尿器の出血のためだった。それから十分もして彼は絶命した。屍を受け取った多喜二の老母は悲鳴を上げた。陰茎も睾丸も渋色に膨れ上がり皮がむけて黒血がこびりついている。皮膚のあちこちに、キリを突き立てたような傷が20近くもあった。それはまったく正視するに忍びない残忍極まりない殺し方だった。
≪高橋和己≫1971年死去・享年40歳=腹部の痛みと腫れを訴えた和己は、東京女子医大で検査を受けた。妻たか子だけに結腸癌であることが告げられた。入院後、癌とは知らない和己は、治ったら釣りに行きたい、鎌倉に家を買おう、などと夢想し続けた。最期は、痛みを消すための多量のモルヒネで意識がなくなり、昏睡状態になった。ふいに呼吸が間延びして息が薄くなったかと思うと息絶えた。病名を知らず、「不可能な時間」を夢見たまま命を終えたのである。
≪三島由紀夫≫1970年死去・享年45歳=東京市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監室で、三島は制服を脱ぎ正座して短刀を両手に持ち、左わき腹に突き立てた。隊員の森田が介錯したが三太刀斬りつけてもうまくいかず、苦痛のために三島は舌を噛みだした。別の隊員古賀が変わって三島の頭部を斬りおとした。ついで森田が割腹し、古賀が一太刀で介錯した。彼は、彼の美学によって自分の死を創作した
。それこそが彼の目的であったと思われる。
≪竹久夢二≫1934年死去・享年50歳=夢二は肺病のため富士見高原療養所に入院した。肺病は次第に進み、末期には、物凄い悪臭を発する肺壊疽(えそ)を起こし、黒い葡萄色の痰を半日でコップ一杯分も吐くようになった。肉親など誰も見舞いに来ない孤独な入院生活に、夢二は涙を流して泣いたという。そして看護婦たちに手足を撫でてもらいながら眠るように息を引き取った。
≪田山花袋≫1930年死去・享年59歳=花袋は喉頭癌だった。見舞いに来た島崎藤村は「花袋君、この世を辞するとなると、どんな気持ちかね」とまじめな顔で尋ねると、「誰も知らない暗いところに行くんだから、単純な気持ちじゃない」と怒りもせずに答えたという。「苦しいかね」と訊くと「苦しい」といった。最期は、水も薬も一切受け付けない状態になって、午後四時過ぎに死んだ。
怪奇巡礼行の独断で上記の死の瞬間を掲載した。いずれも後世に名を残した人々の朽ち果てていく瞬間だ。かくいう山田風太郎も2001年7月28日午後5時半、肺炎のため東京多摩の病院で死んだ。79歳だった。
「この門を入るもの、一切の望みを捨てよ」ダンテ