第25話 16歳で火あぶりの刑にあった八百屋お七
「火事は江戸の花」とまで言われるほど、江戸時代には大火災が頻繁だった。江戸の火災にまつわる最も悲惨な事件といえば、やはり八百屋お七が放火の罪により火あぶりの刑にあったこどだろう。お七
は、なんと16歳の若さで当時の鈴ケ森刑場で処刑されてしまった。そのお七の墓が東京のど真ん中、東京都文京区白山1丁目、高層マンションの谷間に隠れるように息を潜めている南録
山円乗寺にあると聞いて、あわれな魂を鎮めに出向いた。
お七が放火の重罪を犯してしまったきっかけは、やはり大火であった。1682年の丸山火事で、下町一帯とお七の住む本郷が焼け野原となった。そこでお七の家族は、菩提寺である円乗寺に仮住まいすることになったが、そこで知り合ったのが、その寺の雑役をしていた吉三という男だった。二人は次第に『恋仲』となり、離れられなくなっていったのである。そのうち焼けた家が再建されると、家族揃って戻ることとなるが、お七は吉三と別れるのがいやで、放火してしまったのである。再び火事になって家が焼ければ、吉三と別れなくてすむという、浅はかな思いだった。当時放火は火あぶりの刑と決まっていた。女が火あぶりとなったのは、後にも先にもお七だけだったという。ひたむきで純情可憐なお七の心情を察し、当時の江戸庶民の多くは、彼女に同情を寄せ、井原西鶴の「好色五人女」にも取り上げられたほどで、それが現在にまで語り継がれてきたのである。
大火といえば、1654年の不思議な振袖火事も語らねばならない。出火の原因が文字通り振袖
を燃やしたことにあったため、振袖火事といわれるが、実はその振袖には、いわく因縁があり、持ち主が燃やして処分しようとしたのだ。その振袖のいわくとは、袖を通した娘が次々に早死にするという現象が続いたことだ。古着屋で買い求めた娘が三人も亡くなった。三人目に亡くなった娘の遺族が、因縁を断ち切ろうと振袖を燃やした火が江戸の市街地を焼き尽くす前代未聞の大火、通称明暦の大火になってしまったのである。振袖を着て亡くなった娘の命日は、三人とも同じ1月16日というから、不気味というしかない。