第39話 凄惨な事故現場が生き続ける「御巣鷹の尾根」
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上の写真を見ていただきたい。1985年8月12日午後6時56分に日航123便ジャンボジェット機が墜落した現場、群馬県上野村の御巣鷹山の今の様子である。乗客501人、乗員15人が亡くなった世界最大の航空機事故だ。徐々に暖かみを増しつつあるゴールデンウィークを利用して、17年経ってもなおその凄惨さがひしひしと伝わってくる事故現場へ昇魂の祈りをささげに巡礼を敢行した。荒涼とした現場にたたずむと、事故当時、捜索の状況を報じたテレビ画面を食い入るように見入った「記憶」と「現実」とがようやく統一し、完成された観念が湧き上がってきた。
巡礼と並行して行った現地調査の結果、123便は、御巣鷹山の東側の稜線に南東方面ら墜落、機体は前後の2つに折れて、前部は尾根を這うように、後部は尾根の北側の「すげの沢」の谷に向かって落下していった。折れた機体は、体内に抱えていた516人の命を吐き出しながら一瞬のうちに藻くずと化していった。機体が過ぎ去った尾根や、谷に向かう急斜面、谷底には、現在おびただしい慰霊碑が建てられ、一つ一つに亡くなられた方々の名前が書かれている。慰霊碑の建つまさにその現場が、その人の遺体を収容した現場なのだと思うと、寒々しい山風が全身を伝うような感覚に襲われる。
遺体検死を行った医師の報告によれば、遺体の多くは頭部と腰
の損傷が致命的となっていたという。腰の損傷は、シートベルトが原因である。胴体がシートベルトによって腰の部分から切断されていたケースが目立ったというのだ。その証拠に、乗客と対面して座っていたスチュワーデスの遺体は比較的ダメージが少なかった。シートベルトの安全性が高ければもっと多くの生存者がいたかもしれない。生存者の証言によれば、墜落直後のこの現場で、突然男の子の声がし、「ようし、ぼくはがんばるぞ」「おかあさーん」などと会話していたというのだ。その他にも荒い息遣いや、どこからともなく声が聞こえ、その時点では生存者が相当数いたと思われる。
慰霊碑近くにに組み立てられたお堂の中に入ると、とうとう目頭が熱くなるのを抑え切れなくなった。犠牲者の在りし日の写真が飾られている。新婚旅行、家族団欒、愛車との記念写真、ディズニーランドなど、なんとも楽しげな写真がいっぱいである。若くして無念の思いで亡くなった家族が、あの世で楽しく過ごせるようにと、現場の状況とは似つかない楽しい写真を集めたのだろう。今現在も、日本全国から慰霊登山に来る者が絶えない御巣鷹の尾根は、516人全員が昇魂の思いを遂げて初夏の青空に包まれていた。