第32話 日本文明は霊峰富士から始まった
国津神が降臨したのは、九州の高千穂ではなく、東国の富士山だったという古史古伝を信じて富
士山麓に向かった。富士吉田市に建つ小室浅間神社の宮司である旧家、宮下家に伝わる
「宮下文書」(富士文献)と、近江の三尾神社に伝わる「ホツマツタエ」の双方を考え合わせると、日本の起源は、九州や出雲ではなく、なんと富士山なのである。つまり富士の頂きの上に高天原があり、神々が降臨したというのだ。そもそも高天原九州説は「古事記」「日本書紀」の主張でしかない。記紀神話は、東国にまったく興味を示していないというより、東国の歴史を完全に圧殺している。大和朝廷を正当化するためには、東国先進文明を正統史から削除し、根本から否定せざるを得なかったのではないだろうか。東国を主要な舞台とする宮下文書やホツマツタエ、または竹内文書、東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)を読むと、記紀の主張とはほど遠い敗者からみた古代史が描けるのである。神話時代の常識を全面的に覆す、とてつもない歴史が見えてくるのだ。
ホツマツタエなどによると、富士山を極めて重要な霊山と位置付け、天照大神の誕生の項では、次のように伝えている。イザナギ・イザナミノミコトは、国を治める優秀な皇子を産むため、原見山(高
天原が見える山)つまり富士山に1000日間登り続け、その後に富士山頂に飛来した日の御霊が天照大神となったというのだ。そしてイザナギ・イザナミの富士登山の拠点となったのが、現在の甲府市にある「酒折宮」である。天照大神の即位式も、ここで挙行された。この酒折宮には、その後も幾柱もの神が立ち寄り、景行天皇の時代になると日本武尊も足を運んだ。そしてこの宮を模して造営したのが有名な熱田神宮である。つまり、日本の原点は、九州ではなく、山梨なのである。JR中央線の線路脇にひっそりと姿を現した酒折宮の境内に立つと、その昔の
威勢はまったく感じ取れないが、古色蒼然とした本殿の姿に心を打たれる。
日本の創世の地を東国であると伝えているのは、竹内文書も同じだ。竹内文書は、茨城県の最北にある皇祖皇太神宮の宮司、竹内家の先祖が、多くの伝承を基に書き著したもの。飛鳥時代のことだ。天孫降臨の地は、富山県の山間で、空飛ぶ円盤と思われる「天の浮き船」に乗って降臨し、その後世界を巡航したと記している。しかし、幾多の戦乱や天変地異が、超古代文明を襲ったという。常識としては考えにくいが、そもそも曖昧なこの時代の歴史に「常識」などなく、記紀の記述が絶対とはいえないのだ。いずれにしても過去に東国を拠点とした高度文明が存在した可能性は否定できないのである。その証拠に、ピラミッド、巨石群、ストーンサークル、ペトログラフが関東や東北にいく
つも確認され、文明の存在を伝えているではないか。
今回の巡礼の終わり富士吉田市の北口本宮浅間神社にたどり着いたのは、夜の帳も下りたころ。燈篭や提灯に灯がともり、昼間とはまたおもむきの違った荘厳さがただよう。この浅間神社の御神体は、富士山そのものである。この地域に浅間神社が多いのも、天孫降臨に由来しているという。超古代文明に思いを馳せながら、ただ1人夜の鳥居をくぐり、淡いオレンジ色に輝く本殿の前に歩みを進めた。