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   第11話 平将門の首級を洗った岩井の井戸地図はこちら

 

 朝霧に深く覆われた10月のある日、眉間に弓矢を受け38歳の若さで討死した平将門生誕の地を訪れた。茨城県岩井市周辺である。今から1060年国王神社前の平安時代のこと、将門は400人の手勢を率いて、藤原秀郷・平貞盛勢とこの岩井付近で対峙した。しかしこの戦いの最中、将門は流れ矢を受けて落命したのだ。その場所が今でも残る国王神社付近だったと言う。長く重苦しい参道を進むと、将門の三女の作といわれる将門像を祭る本殿が現れる。国王神社の将門像(将門三女作)

 新皇、将門の首は、塩漬けにされて京都まで運ばれ、天皇への反逆者として四条河原に晒されたが、その夜「カツカツ」と不気味な笑い声を上げながら、舞い上がり、現在の東京大手町に落ち、今でもその場所が将門の首塚として残っている。その首が京都に運ばれる前に洗浄したのが、国王神社から歩いて5分ほどにある「岩井の井戸」だ。井戸自体は現存していないが、その場所は特定されている。また首から切断された胴体は、そこから目と鼻の先にある延命寺境内に埋められているという。

 将門首洗い井戸国王神社、石井の井戸などの一帯は、将門が造営した居館内に位置している。この神社は、将門館の鬼門よけとして造営されている。わずかに小高くなった民家の軒先を探索すると、将門の営所跡という石碑を見つけた。そこから遠く田園地帯を臨むと、平安時代に争奪戦となった広い平野の肥沃な土地を確認することができる。四方から侵入され、苦悩の日々を送った将門の思いが、亡霊のように渦巻いているようだ。

 岩井市から東北方面に10キロほど行くと、将門生誕の地である石下将門岩井領地の現在町にたどり着く。しかしこの町では、案内板がほとんどなく、1時間以上にわたって探索したものの、目的の場所を探せなかった。目的の場所とは、将門が生まれた豊田館跡と将門公墓だ。豊田館のあるという石下町向石下の地に立つと、1000年以上前の武者姿が瞼によみがえるようだ。

 

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