第35話 関東圏支配者の墓・巨大古墳を巡行
我々が生活を続ける大地は、数万年、数十万年にわたる人間の恨みがしみつ
いている。古代から数限りなく繰り返される殺戮が、この大地を汚しているのだ。どこにどんな心霊現象が出現しても、まったく不思議はない。怪奇巡礼行は、武蔵、甲斐、信濃、上毛をめぐる壮大な巡礼計画を実行に移した。それぞれの土地に残る巨大古墳、つまり古墳時代の各地の王墓を訪ね歩き、当時の戦乱の中心人物に会いに行くためである。そこに残るのは、もちろん冷えびえとした墓だけだが、怪奇巡礼行にははっきり見えるのである。当時の王の姿だ。巨大古墳の頂きに、ただ一人たたずんで目を閉じれば、原生林を背景に剣を振りかざすおびただしい兵士と亡き骸が浮き出てくるのである。そして彼らの魂を鎮めて、安らぎを取り戻す巡礼である。
古墳時代もやはり戦乱の時代だった。武蔵地方最大規模の古墳を擁する行田
市の埼玉古墳群に赴くと、全長128メートルの二子山古墳、108メートルの鉄砲山古墳、100メートルの丸墓山古墳など100メートル級の巨大古墳が姿を現す。5世紀後半から6世紀はじめにかけてこの地方を支配した代々の首長の古墳で、幾多の戦乱を通じて、王の地位を得たのである。南武蔵地方の豪族との戦いの結果、支配権を奪い取ったと考えられるのだ。稲荷山古墳出土の105の文字が描かれた錆びた鉄剣が壮大なドラマを物語っている。巨大古墳に埋葬された王は、王の中の王である大王ワカタケル(雄略天皇)の支配下にあり、地方支配を任されていた。大和にも出仕し、大王の住む宮廷で番兵の首領を勤めたとも書かれている。埼玉古墳群は現在古墳公園となっているが、墓場を公園とする意識が到底理解しがたい。
戦乱の跡をよく残しているのが、古墳時代の甲斐国王の墓、銚子塚古墳を中心とする曽根丘陵遺跡群(中道町)だ。4世紀後半の銚子塚古墳の全長は169メートルに達し、東国最大規模を誇る。銅鏡、勾玉、刀剣、埴輪などの副葬品が豊富で、埼玉古墳群と同様に大和
朝廷と深いかかわりを持っていた。周囲からは、焼けた土や焼けて炭化した米が広範囲に出土しており、豊かな土地を巡る争奪戦が繰り広げられた証拠と見られている。住居が放火され、蓄えていた米が火にさらされたのだろう。
信州の巨大古墳は、更埴市の有明山の尾根上に造成された4世紀後半の森将
軍塚古墳だ。全長100メートルあまりで、埋葬された首長が支配したであろう善光寺平を一望できる絶景の地にある。上毛地域では、太田市の天神山古墳(5世紀後半)が210メートルの規模で文字通り東国最大、高崎市にも100メートル級の観音山古墳(6世紀後半)があり、しっかりと保存されている。やはり、銅鏡や刀剣の副葬品が出土していて、大和朝廷とのかかわりが明白となっている。いずれにせよ大和朝廷の支配が全国規模に拡大し、大王つまり天皇の地方代理支配者としての王の姿が浮き彫りとなる。豊富な武力と富によって割拠する地方豪族を抑え、死ぬとその力を誇示するために巨大古墳を作り続けたのである。