第34話 憧れの富士山麓で死んだ徐福に迫る

 

 紀元前200年ごろ、中国の高僧が500人以上の従者を従えて”夢の国”日本を目指し大移住を行ったという事実をご存知だろうか。その高僧が目指した先は、山梨県側の富士山である。太古の昔の日本は、神仙思想が普及していた中国から見て東方にある憧れの地で、そこにある蓬莱山には不老不死の薬があると信じられていたのだ。蓬莱山とは、今の富士山のこと。不老不死の山だか小さいが塗り改めた甲子神社ら不死山から富士山に転化したのである。中国の高僧は、この不老不死の薬を探し当て、当時の支配者、始皇帝に献上するた徐福祠めに、85隻もの船団を組んで海を渡った。一行は、農夫、大工、酒造、石工、医師など日常に必要な専門家をそろえた本格的な移住集団だったのである。

 いわゆる徐福伝説だ。高原の寒さが厳しさを増しつつある10月のはじめ、失意と絶望の淵に落とされた徐福の足跡を訪ねて、富士山の麓に赴いた。徐福は、約4ヶ月をかけてようやく日本の紀伊半島に上陸、そこで3年滞在したあと、再び船に分乗して富士山を目指し、ようやく目的地に到着したのである。しかしここから徐福の耐えがたい苦労が始まった。富士山の樹海をくまなく探し回り、不老不死の良薬を手に入れようとしたが、道もない広大な原生林が広がるばかりで、もちろん良薬などあるはずがない。絶望した徐福は、この期に及んで始皇帝の下には帰れないと悟り、当地に定住することに決めたのである。徐福の「福」を取った福岡や福田、福島などの苗字は、彼らの子孫の可能性が高いという。

 定住を決めた地は、いくつかに分散していたのだろうか。河口湖の北岸の里や山中湖の北岸の長池あたりとみる説があるが、今となっては特定は難しい。はっきりしているのは、富士吉田市の小明見地区の蓮池の北岸にある甲子神社に祀られているのが、徐福祠だということだ。小明見あ山中湖畔の長池付近福源寺の鶴塚たりにも一行の一部が、生活を続けていたのかもしれない。当時の日本は弥生時代で、我々の祖先の原住民に農法、養蚕、紡績の技術を伝えたという記録もある。そして遂に徐福は富士山麓で息を引き取ったのである。

 もう一つ徐福のゆかりの地があった。富士吉田市のJR下吉田駅近くにある福源寺境内に立つ「鶴塚」だ。今から300年程前、ここで一羽の鶴の死骸が発見されたが、この鶴こそ2000年前に、この地の住民に織物の技術を伝えた徐福の化身とされ、骨の一部を埋めて鶴塚が作られたのである。途方もない時間と苦労をかけて憧れの日本に来たが、何も得ることなく生涯を閉じた徐福の気持ちは、いかばかりだったろう。