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巡礼の旅の舞台裏を明かす
巡礼取材中に出会った恐怖体験や主宰者の心境、今後の予定などを告知するコーナー
2001/7/20スタート
02/5/4更新
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☆02/5/4516本の慰霊塔が林立する墜落現場の巻
☆01/11/9弘法山ピラミッドは世紀の大発見の巻
☆01/9/23坂東霊場のご利益をあなたにもの巻
☆01/9/15見え透いたアメリカテロの茶番の巻
☆01/8/31超古代文明に没頭の巻
☆01/8/4護国寺の幼稚園で霊鎮めを挙行すの巻
☆01/7/28広大な寛永寺墓苑を徘徊すの巻
☆01/7/24白河関で義経の声を聞くの巻
☆01/7/23怪奇巡礼の本当の狙いを示すの巻
☆01/7/22生きとし生けるもののはかなさを訴えるの巻
☆01/7/20スタート怪奇巡礼行に襲いかかる様々な怨霊の巻
HPインデックス 本編・怪奇スポット目次 写真で見る注目スポット 巡礼行で撮れた心霊写真 掲示板
☆02/5/4516本の慰霊塔が林立する墜落現場の巻
日航ジャンボ墜落現場は、予想をはるかに上回る凄惨さに満ち溢れていた。若くして昇天する悲しみをうたった詩が慰霊塔の所々に記され、一行一行読み進むと、自然に目頭が熱くなる思いであった。今更ながら命の尊さが心に染み渡ってくる。現場は、御巣鷹尾根の北側斜面のほぼ全体に広がり、516本の慰霊塔がところせましと立ちすくんでいる。見渡す限りの慰霊塔の群に圧倒されるばかりである。偶然にも「坂本九」さんの慰霊塔に対面した。脇にぽつんと置かれた「九ちゃんへ」と書かれた小さな石地蔵が強烈な印象として残っている。
現場は、群馬県の最西端に位置する上野村にある。東京からだと、車で数時間はかかるだろう。車を降り1時間ほどの登山道を進んでいく。かなりの急斜面が続き、ポイントごとに休憩用の長椅子が用意してある。偶然にも、花束を持った遺族らしき一行とすれ違い、後ろを振り返ってデジカメのシャッターを押した。駐車場に戻ると、その一行が乗っていたであろう岐阜ナンバーの車が止まっていた。全国から慰霊登山に集まってくる様子がうかがえる。
上野村の居住地の御巣鷹山を臨む高台に「慰霊の園」が作られている。32分間の迷走の末、偶然にも墜落現場となった上野村村民ができることといえば、犠牲者の昇魂を祈るモニュメントを建設することぐらいであろう。516人全員の名が刻まれたモニュメントには、17年後の今でもいきいきとした献花がなされていた。家族にとっては永遠に忘れることができない悲しみに耐え続けてきたのであろう。異次元空間のような現場を体感することができ、意義はあった。
☆01/11/9弘法山ピラミッドは世紀の大発見の巻
写真で見る注目スポットにアップした埼玉県越生の弘法山ピラミッドは、世紀の大発見である。つまりまだ誰も発見されていなかった新発見のピラミッドだ。越生町は、関東平野の西の端、秩父山塊の東の突端に位置し、弘法山ピラミッドはまさに山並みの始まりの部分。信仰の対象となるピラミッドとしては絶好の位置にある。大きさも人工的に造成するにしては、ちょうどいい大きさといえよう。麓から中腹にかけて散乱している石にカギ状の古代文字が刻まれている。古代文字が刻まれている石とも知らずに、階段の一部となっていたり、無造作に廃棄されているものもあった。麓にある中学校の校庭に巨石が残っており、そこに宇宙人らしき模様をかたどった彫石を発見した。
麓から頂上まで綿密な調査を行った結果、斜面か段丘状になっている部分がある。このことにより造成当時は、周囲が階段状のピラミッドだったと想像できる。頂上の浅間神社付近をくまなく調べたが、ここにははっきりとしたピラミッドの形跡は発見できなかったが、全体が粘土状の柔らかい土で覆われており、造成が容易な地質と考えられる。人口造成の為に、土壌が柔らかいという見方も可能だ。神社のほか、寺が2つ配置されており、古くから信仰の地とされていたことも分かった。
江戸時代の「新編武蔵風土記稿」にもこの山(ピラミッド)のことが記されている。それによれば、山の頂上に立つと、東京は八王子、そして房総・信州・越後の山々も一望できたという。標高200メートル程度の山にしては、破格の扱いといえよう。現在は、八王子方面が確かに遠望できたが、周囲か植林で囲まれていて眺望がいいとは言えなく、残念である。「弘法山ピラミッド」の名称は、怪奇巡礼行が命名したものである。
「呼び覚ましてしまった怨霊と伴にこれからも巡礼を続ける決意はあるものの、異界の深みにのめり込む前に何らかの手立てがどうしても必要である。解決の糸口は、霊力しかあるまい。怨霊に立ち向かえる力を得ることである。解決策は、あれしかない。それは後日明らかにしよう」。以前このように書いたが、その解決策は、坂東三十三観音霊場納経だったのである。
長期間に渡って、一寺一寺を徒歩で丹念に巡礼し、観音経を唱え、手を合わせて人々の安穏を願ったのである。いまだ二つの寺が残っているが、満願成就の楽しみは、もう少し後になるだろう。なにせ房総半島の先まで行かねばならない。しかしすでに三十一の観音霊場が怪奇巡礼行主宰者を守護しているのである。このほど朱印一覧を掲載し、ここに訪問された方々にもご利益をお分けしましよう。
アメリカの世界貿易センタービルが2本とも倒壊した。常識ではとても想像できないテロ映像がテレビから流れつづけている。だがどうも腑に落ちない。こんなにも簡単に大規模テロが可能なのだろうか。壮大な「ヤラセ」という見方も十分可能だ。ブッシュ大統領のシナリオどおりにことが進んでいるような気がしてならない。
アメリカが途方もない好戦的な国であることは、これまでの歴史で証明済みである。世界恐慌の様相を呈してきたのも、またいいタイミングだ。まるで第2次大戦前夜のような雰囲気(想像)である。朝鮮戦争以来の規模でテロ戦争が実行されれば、ちょっとは景気への刺激にもなる。まさかこれを狙った「ヤラセ」ではないだろうね。
従来からブッシュ大統領の考える仮想敵は、テロ集団だというから、これもすっぽりはまっている。これ以上は、考えたくない。ゴミのように死んで見捨てられた数千人の命に思いを馳せるのみである。
次回のスポット巡礼の予定が決まりました。ここしばらくは超古代文明をテーマとすることに決定していたので、関東周辺の縄文時代遺跡や伝承を取材し、紹介していきます。現在巡礼の為の下準備を進めています。縄文時代と言えば、以前は狩猟を中心としたあまり高等でない文明がイメージされていましたが、最近ではそのイメージが大きく転換しています。弥生時代と変わらない農耕社会で、整然とした階級社会を形成していたのではないかとの見方が濃厚となっています。青森の三内丸山遺跡の発見が、イメージ転換のきっかけとなりました。
その時代の伝承が部分的に残っているのも驚きです。それをみると、弥生時代以上の高等文明で、中には日本が世界を制覇していたと伝える文献もあります。その証拠にピラミッドや巨石群、岩刻文字などが、日本にもそうとう多く残っています。きわめて想像力を掻き立てる分野といえるでしょう。古事記や日本書紀は勝者の都合の良い表の歴史で、これに対する敗者の裏の歴史に惹かれるところ大です。
本日、「霊鎮め」(たましずめ)を目的に護国寺へ降り立った。決して興味本位ではないことをお断りしておこう。地下鉄有楽町線護国寺駅を出ると、蒸し暑い熱気が体を包むようにまとわりつく。歩道を100メートルほど進み、左へ折れると、あの幼稚園が現れた。護国寺内の幼稚園といえば、昨年起こった悲惨な殺人事件が思い浮かぶはずだ。まだ生々しい記憶として残っているので、しばらく実名は避けよう。
そして幼稚園の入り口正面にある駐車場の左端に小さなトイレがある。このトイレがまさに事件の現場である。女子トイレの入り口には今でも、生花が手向けられ、冥福を祈る人々の心が伝わってくる。怪奇巡礼行も呪文を唱えつつ手を合わせた。霊鎮めの作法を終え、写真を数枚撮り終えたその足で、護国寺の本堂へ向かい、ここでも冥福を祈ることにした。
護国寺の境内を出ると、高層マンションが建ち並ぶ国道に出る。周辺の住人は、大型ダンプやバスが吐き出す大量の一酸化炭素を日常的に呼吸しながら、ストレスの固まりを心の奥に抱いて生活を続けている。
谷中墓地と上野寛永寺の墓地を半日かけて、一人徘徊した時のこと。無数の卒塔婆の陰から常に視線を感じる不思議な体験をした。その日は、気温30度を超え、生暖かい風が皮膚を叩いていた。千代田線根津駅からスタートした墓苑探索は、言問い通りの坂道を登り始め、いくつもの寺院を通り過ぎ、東京芸大の横にたどりつく。そして土塀で遮断された向う側が、広大な敷地を有する寛永寺墓苑だ。
進入する口は数個所しかなく、管理人の目を盗みつつ入場することが出来た。墓苑に入場するとやや遠方に、うっそうとした林が墓石群の上に浮き出ているのがすぐ確認できる。これが4代将軍家綱の墓である。家綱を目指して進んでいく。いくつもの墓石、卒塔婆を縫って。もちろんただ一人である。そのとき霊的空間、もしくは異界に首を突っ込んだのは間違いない。背後に無数の異様な視線が突き刺さるように迫ってくるのがはっきり分かる。
後ろを振り返ることは出来ない。恐怖で足がすくみながらも、前に進むのみである。両側を墓石で囲まれた50cmほどの小経を縫うように進み、約5分ほど経つとようやく家綱の墓だ。ここで勇気を絞って幾枚かの写真を収めることに成功した。「写真で見る注目スポット第5話」にそのときの写真を掲載している。すると突然、突風が吹き始め、木々がざわざわとしゃべり始めた。「おいてけ、おいてけ」と、周囲の墓石の間からうなりをあげてくる。フィルムは置いていく訳にいかない。続きの体験は後日明らかに。
なぜこんなにも恐ろしい巡礼をはじめてしまったのか。悔い改める毎日であるが、もう押さえは効かない。怨霊が怨霊を呼び覚まし、恐怖の連鎖は断ち切れない。巡礼の先々に怨霊の姿を目にし、行く手を阻まれ、あるときは導かれるという怪現象に幾度も遭遇している。
平将門の本拠地、茨城県岩井市を訪問した時も、こんな不思議な体験をした。その日、岩井市の繁華街を過ぎ一人国王神社を目指して歩を進めていくと、突然朝霧が立ち込め、30m先が視認不能となった。いかんせんそこは畑のど真ん中で、方向感覚がまったく消失。
そのとき人の気配がしてふと前方を見ると、霧の中に黒い陰が浮き出ているではないか。その影に導かれて前進すると、将門首洗い井戸が忽然と現れた。武者姿の影に導かれたのである。茨城県岩井は未だに武将の怨霊が行き交うエリアなのである。そのときの写真は、怪奇スポット第11話に掲載している。
福島の白河関に赴いたときのこと。それまで青空であった天気が突如として暗雲垂れ込め、大雨が降り始めた。傘もなく降雨を突いてただ一人白河神社の神前に立つと、雨足とともに、武者のざわめきが神社を囲む森の中に響き出したではないか。そんなときは恐ろしさのあまり目を閉じで手を合わせるしかない。
人の生命とは、何とはかないものだろう。怪奇巡礼行の本当の狙いは、長年にわたる人の歴史の中で、いかに人の命が軽く扱われ、いとも簡単に断たれて来たかを、自らの目で確かめ、体感し、そしてこれを後世に伝えていくことにある。
江戸時代、20万人もの「罪人」が、客観的な証拠もなく、あるいはイデオロギーの違いによって国家権力によって処刑された。農民の為に蜂起した秩父事件でも、政府の鎮台兵が幾人もの農民を殺害した。東京大空襲では、10万人の非戦闘員が紙くずのように燃えて消えうせた。大人の理解できない欲求が、多くの子供の命を今でも奪い続けている。
「命とは最も大切なもの」といいながら、実際に歴史が流れ去った後には、おびただしい人の怨霊がその場に留まっているのみである。世界的に見れば、日本は平和を享受している最たる国といえよう。しかし日本にあっても生と死は、いついかなる時もあくまで表裏一体である。
「たけき者もついには滅びぬ 偏に風の前の塵に同じ」
いつでも風の前の塵となりうる。何とはかなく、むなしいサガだろう。
先日、猛暑の中、三遊亭円長の幽霊画コレクションを取材する為の下見を某所において決行。来月中には、本格取材を実施して、HP掲載可能との見通しがたった。下見に当たっては、周囲の史跡等の確認を行った上、寺の事務所でコレクションの公開予定日を聞き、その日に再度訪問すると、対応に出て来たおばさんに告げた。
周囲には、笠森おせんゆかりの寺もあるが、なんと寺の前の坂道は、怪談牡丹灯篭の主役、お露がカラン、コロンと下駄の音を立てて歩いたという場所だった。すごい心霊スポットである。所在地は、HP公開の日までお待ちください。
ところで、昨日発生した明石市の花火大会での大惨事は、生きとし生けるもののはかなさ、この世のむなしさを教えてくれるものだった。生命が閉じられる瞬間は、いつのときでも突然、予期せぬ時にやってくる。事故死というのは、すべてがそうだ。一瞬先に自己の生命が絶たれる運命を、つゆとも自覚できない悲しさ。。。華やかな花火大会の直後だけに、亡くなった人も自らの死を自覚できずに旅立っただろう。他人ごとではない。
☆01/7/20スタート怪奇巡礼行に襲いかかる様々な怨霊の巻き
1000年の区切りを期してスタートした怪奇巡礼行もいつしか多くの月日が費やされた。その間、主宰者は行く先々で数限りない異界、霊界に肢体を突っ込み、畏怖の体験を積み重ねてきた。あくまで孤独な単独行にあって、怨霊、妖怪、心霊の類をいくつも引き寄せ、連れ帰ってきている。
無理もない。ある時は、見渡す限り墓石が立ち並ぶ墓苑の中をただ一人徘徊し、妖怪たちと歩みを伴にした。またある時は、200年もの長い眠りについていた怪談の主人公を呼び覚まして、一緒にフラッシュをたいた。
そのたびに身震いする怖さが背筋を襲う。ただ一つの感慨は、異界と直接対面する非日常のタブーの世界に迷い込むことで、列島の裏の歴史を多少でも実感できることだ。
しかし主宰者に襲いかかる怨霊は、毎晩毎夜のごときである。さ迷い歩く武者、泣き叫ぶ女、腕を伸ばす妖怪、目をむく生首が枕もとに現れ、異界へと引きずり込もうとする。こうなると熟睡は不可能である。
巡礼の旅がスタートして数ヶ月過ぎた頃から、あちこちから引き寄せ、連れ帰った怨霊の類のせいで睡眠不能に陥り、昼夜の区切りは最早消えうせている。近頃では、24時間一日中が異界、霊界の只中にいて、将門や義経の魂と語り合っているというありさまだ。
ある夜は、ふと目をあげると、宮崎勤に惨殺された幼女が出現し、助けを求めて細く白い腕を伸ばしてくるではないか。埼玉県飯能市赤工(あかだくみ)の路上で、下校途上に連れ去られた幼女であることがはっきり感じ取れる。
呼び覚ましてしまった怨霊と伴にこれからも巡礼を続ける決意はあるものの、異界の深みにのめり込む前に何らかの手立てがどうしても必要である。解決の糸口は、霊力しかあるまい。怨霊に立ち向かえる力を得ることである。解決策は、あれしかない。それは後日明らかにしよう。