第29話 北武蔵で平家の無情に接する
源平の騒乱で、何より痛ましいのは、平家滅亡の瞬間であろう。壇ノ浦での最後の海戦で、義経に
追い詰められた平家のシンボル、安徳天皇は8歳で波影に消えていった。栄枯盛衰、諸行無情の思
いがしみじみと伝わってくる場面である。武士の最期では、やはり平敦盛の戦死のくだりが、哀れを誘う。大将であった平忠度も敦盛とほぼ同時に戦死しているが、この2人の魂が宿り続ける北武蔵を巡礼し、平家物語の世界に浸ることにした。
一の谷の合戦のこと、義経の鵯越で不意を突かれた平家軍は、堰を切って攻め込んできた源氏方の関東武士団に粉砕されてしまった。平氏の残党は、安徳天皇と三種の神器を擁いて海上へと逃れていったのである。この一戦で平家側は、忠度、経俊、通盛、敦盛ら主柱を失ってしまった。敦盛は、最年少17歳である。その敦盛を手にかけたのが、北武蔵の熊谷直実だった。敦盛の若くて美しい相貌を目に
した直実はその瞬間同年齢のわが子を思い浮かべ、いかに敵将といえども首を取るのにためらったが、味方の軍勢の前にあっては、かなわぬこと。涙をこらえて若武者の首を掻き切ったのである。直実は、このときの無情を心に秘め、のちに世を捨て仏門に入る。埼玉の熊谷にある熊谷寺(ゆうこくじ)は、出家した直実の草庵跡に建立されている。直実の墓と伝えられる塔も現存する。敦盛への仕打ちをはばかり、後の生涯を念仏で明け暮れた直実の心を熊谷寺に感じ取ることができた。
一の谷で大将であった忠度の公墓も熊谷寺にさほど遠くない、JR深谷駅
の南にある清心寺にあった。薩摩守忠度は、やはり関東武士の岡部忠澄との一騎打ちで敗れ、討死。岡部忠澄は、敵ながら忠度の文武両道に秀でた人柄に感銘し、自国で最も見晴らしのいい場所を選んで、供養の五輪塔を設け、900年後の現在にその意志を伝えている。そのすぐ横には、一騎打ちで切り落とした忠度の腕を埋めたという腕塚もたたずんでいる。いずれも関東において、平家の無情にわずかでも接することができる数少ない史跡であり、大切にしたい。