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第42話    呪われた八高線


 関東平野の西の端を南北に走るJR八高線が、呪われたローカル鉄道であることをご存知だろうか。八高線が今でもちょっとした風雨で運行がストップする理由は、呪われた記憶を呼び起こす恐ろしい大惨事を再び起こすまいとする管理者側の姿勢が現れているのだろう。のどかな田園地帯や丘陵を貫く八高線には、その美しい風景とは似ても似つかない悲惨な歴史が横たわっているのだ。春一番が吹き始めた2月のある日、その大惨事の痕跡をたどる調査巡礼に旅立った。

多摩橋梁上の事故
 東京方面から東武東上線を乗り継いで終着の越生駅に至ると、身体の芯に響くようなジーゼルエンジンの回転音が迫ってくる。そして呪われた八高線の白い車両が姿を現した。時を1945年8月24日に戻そう。終戦からわずか9日しか経っていない。その大惨事は、八高線の小宮〜拝島間の多摩川橋梁上で発生した。折からの台風通過で多摩川の流れが川幅いっぱいに広がり濁流となっていた。その日の午前7時40分ごろ、単線区間の運行指示を誤ったため、旅客列車同士が橋梁上で正面衝突したのである。終戦後の買出しや復員者でごった返していたため、なんと死者105名に達した。多摩川の増水に飲み込まれた乗客も多く、多数の亡骸が下流で発見された。目撃者によると、人がバラバラと川の中に飲み込まれたという。多摩川の河川敷には、今でも当時の事故車両の車軸の残骸がさらされており、生々しさが染み渡ってくる。

 それだけでは、八高線が呪われているとはいえない。 多摩川橋梁事故のわずか2年後の1947年2月5日、八高線の東飯能〜高麗川間の曲線下り勾配で、超満員の買い出し列車6両のうち4両が脱線転覆したのだ。速度超過が原
日高市の転覆現場因だったという。転覆現場の慰霊碑これにより、2年前の惨事を上回る184名もの死者が発生、負傷者は500人に上った。死者の多さに棺桶が足りず、大宮の工場で棺桶を作って救援列車で運んだ。老朽化した木造車が大破し、その破片によって死傷者が多くなったともいわれている。運転士は、後ろ4両の脱線に気づかずに次駅の高麗川駅まで列車を引いていった。この大惨事の現場に居合わせた者の述懐によると、事故現場から犠牲者の荷物を盗み出す人間が横行したという。さながら地獄絵のようだったと想像できる。時代が時代なだけに、いたしかたない面があったかもしれない。

 現在、日高市となっている脱線転覆現場を訪れると、当時無数の遺体が並べられた畑にぽつんと佇む慰霊碑が光っていた。慰霊碑の前に立ちすくむと、60年前の凄惨な光景が時空を超えて脳裏によみがえる。戦争の危機をかいくぐって生き延びたはずの大勢の命が、この八高線の線路
慰霊碑の上を通過する八高線の上で消えていったのである。今も八高線が運休になる報に接するたびに、呪われた過去を思い起こす。これが旧軍用列車の運命なのか。

多数の死体が並ぶ転覆現場

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 


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