第38話 よみがえる吉展ちゃん誘拐事件
都電の終着、三ノ輪駅の下町情緒豊かな商店街をすり抜けると国道4号線に突き当たる。そこから左へ折れて数分のところに、多くの人の怨霊がただよう、かの円通寺が姿を現す。かすかな春の香りが漂いはじめた2月のなかごろ、冷雨を突いて巡礼に出かけた。円通寺の山門をくぐると、目の前に何一つ障害物のない広々とした空間が広がり、そこに
人の恨みと苦痛の叫びがどんより留まっているようだ。
この寺は、戦後初の営利誘拐事件として大きく報道された吉展ちゃん事件の舞台となったところだ。1963年(昭和38年)3月31日(日)、東京・台東区入谷で工務店を経営する村越家の自宅すぐ前の区立入谷南公園で、一人で遊んでいた当時4歳の村越吉展ちゃんが突然姿を消し、2日後、50万円の身代金を要求する電話が鳴り響いた。そして2年後、つかまった犯人の自供で公園から直線距離にして700メートルの円通寺の墓地に埋められたことたが判明したのだ。遺体は2年以上も放置されていたため白骨化していたという。その後小塚原の回向院に埋葬され、そこに吉展ちゃんを供養した吉展地蔵尊が建てられた。
犯人によれば、誘拐後、逡巡しながら円通寺裏の墓地まで来たところで、吉展ちゃんが眠ったのを機に首をしめて殺害し、そばにあった墓の石室に死体を隠したのだと言う。吉展ちゃんは誘拐のその日に殺されていたことになる。入谷南公園も村越家の自宅も当時と同じ場所に今でも現存している。40年前の事件とはいえ実際にその場に訪れると、吉展ちゃんの手を引いてとぼとぼと徘徊する犯人の姿が瞼によみがえってくるようだ。何事も知らずに親や子供が公園で遊んでいる姿を見ると、ほのぼのとした風景とは好対照の寒々とした恐ろしい過去がなおさら際立ってきた。
円通寺には、さらに悲惨な歴史がある。幕末の上野戦争で戦死した彰義隊戦士266人が埋葬されている場所なのだ。戦いの後上野に出向いた住職は、いたるところに放置されていた若い彰義隊の死体を哀れんで、この寺に全員埋葬したのだと言う。その縁で、弾痕おびただしい上野黒門も明治40年になってここに移築された(写真はここをクリック)。弾痕は、人差し指がちょうど入るぐらいの黒々とした穴で、130年前の戦いの激しさをまざまざと語っている。下町の繁華街を一歩外れたところに、こんな恐ろしい歴史を持つ古刹があることを誰が知っていようか。あなたの自宅の回りも、もう一度見直す必要があるのでは。