第33話 むきだしの「活断層」を体感

 

ずれた石垣 阪神大震災で一躍注目されたのが、大地を貫く活断層だが、伊豆半島と本州の接合地点といえる静岡県函南町にも、むきだしの活断層が保存されていると聞いて、遠征巡礼を実行に移した。昭和5年11月5日午前4時02分に発生した北伊豆地震で形成された「丹那断層」である。新幹線の丹那トンネル、丹那牛乳で有名なところだ。北伊豆地震断層の内部は、丹那盆地の直下0〜5キロを震源とするマグニチュード7・3、震度6という大地震である。木造瓦屋根が主だった当時の家屋は、ことごとく倒壊し、函南町内の5分の1に当たる400戸が藻くずと化した。地震による死者は37人、負傷者195人に上った。人口密集地でなかったことが人的被害を少なくしたといえる。

 このときに箱根の芦ノ湖から修善寺までの約30キロにわたって丹那断層が形成されたのだ。断層を境に東西の大地が1メートルから2メートル以上ずれ込んでいる。むきだしの断層は、以前民家の敷地内で、ゴミ溜め場と用水路が設置されていたが、この2つの施設を囲んでいた石垣が断層により、食い違いが生じたものだ。ゴミ溜め場の円形の石垣は、ちょうど真中で半円ずつに分断され、積み木をずらしたようになっている。用水路の石垣も大地のずれに沿って骨折しているように見える。断層にトレンチを火雷神社の壊れた鳥居入れた地下の様子も展示していた。東西の地質の違いがはっきり分かる。さらに断層を北に延長した盆地内の軽井沢地区にある火雷神社には、断層により倒壊した鳥居が保存されていた。ちょうど鳥居と神社の階段の間に断層が走ったため、神社の正面にあったはずの鳥居が1メートルほどずれて食い違いを見せている。鳥居がばらばらになって地面に落ちた様子も昭和5年当時そのままだ。

 周辺には、この丹那断層に接合して合計7つもの断層が生きているという鳥居の破片は当時のままから恐ろしい。また地質調査の結果、丹那断層はここ6000から7000年の間に9回活動したことが分かったという。その中には、「続日本後紀」に記録された伊豆国大地震(西暦841年)も含まれているらしい。つまり約700から1000年に1回の頻度で活動し、その都度2メートル横ずれを起こしているため、最近の50万年で1キロメートルも大地が動いた。しかも西側の地魂が100メートル隆起している。伊豆半島の接合地域という特殊な地盤形成も関係していよう。丹那盆地は酪農が盛んで、狭い盆地内にいくつもの農場が営まれていた。すがすがしい秋風に乗って乳牛の鳴き声が心に響き、まさに牧歌的で外界から隔絶されていた。