第4話 会津若松に残る幕末の恐怖
台風が日本列島を通過する中、ひと時の晴れ間が現れた。快晴の空の下で会津若松の取材が順調に進んだ。この地は、戊辰戦争にまつわる怪奇が充満している。会津若松駅から30分ほど東に進むと、滝沢本陣が今でも茅葺屋根をたたえている。ここは会津藩士の駐留所として活用された建物だ。東北地方最古の建物として重要文化財に指
定されていると言う。
この本陣に残されている最大の恐怖は、多数の弾痕や刀傷であろう。会津藩士、新撰組が官軍と対峙し、厳しい戦闘が繰り広げられ、100年以上も経った現代にその痕跡をとどめている。2〜3cmの板穴に指をかけると、会津藩士の悲痛な叫びがよみがえって来るようだ。
会津と言えば白虎隊だ。滝沢本陣から5分歩くと、白虎隊自刃の飯盛山にたどり着く。100段以上もあろう石段を1段上るたびに、重苦しい空気がのしかかって来るのが分かる。石段を上り詰め、更に奥へ進むと、白虎隊自刃の場所に立つことができる。周囲は無数の墓地に囲まれ、19人の哀れな隊士の悲鳴が聞こえるようだ。
自刃の地から会津若松の繁華街方面を見渡すと、確かに鶴ヶ城を臨むことが出来た。白虎隊士は、鶴ヶ城本丸が延焼したと見誤って覚悟を決めたのである。こうした白虎隊の物語に共鳴したのだろう。イタリア政府から、白虎隊顕彰碑が送られ、展示されていたのが意外だった。顕彰碑の本体は、1000年以上も前に建てられたイタリアの神
殿の柱だと言う。
最後に訪れたのが、近藤勇の塚である。千葉県流山で殺された近藤勇の首が、何者かによってこの地に運ばれ、埋葬された。土方歳三もこの塚をよく訪れている。だが、埋葬された首が本当に近藤のものだったかは定かではないらしい。近藤勇の塚は、観光地となっている会津武家屋敷から10分ほど歩いた天寧寺の裏山を更に10分ほど登った目立たない山腹に佇んでいた。観光客はまったく来ない静かな塚だった。

